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北杜市は今やメガソーラーのメッカと言われるほど、その施設が乱立している。生活権、財産権の侵害だとして提訴が起こされる程の状況だ。市の規制が全く無いから、FIT制度---売電価格を20年間保証---の下、金を儲けようとする亡者達/資本が殺到し、あちこちの広大な森林を伐採、そこにパネルを設置。何と設置済みの数1000超、申請件数4000超。「再生可能エネルギー」の普及という美名の下に----

市は山梨県が2015114日に策定した「太陽光発電施設の適性導入ガイドライン」との整合性を図るために、やっと景観計画の見直しを始めたところ。県の対応も遅いが、市は自らが主体性をもって始めた訳ではないと言う相変わらずの姿勢

この景観計画変更に対するパブリックコメントの募集があり、それに応じたのが、下記。生物多様性についてはすでにブログで触れているが、ここでも強調しておきたい。

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景観計画変更に関するパブリックコメント

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【二つの視点から景観計画を考える】

1 生物多様性の世界へ思いをはせる姿勢=市政

生物多様性ということが叫ばれてから久しい。生物多様性とはただ様々な生き物がいるということではない。その生物たちがお互いにつながって存在しているという意味。命と命がつながっているということ。生物という以上、人も当然その生物多様性を構成している生きもの。

この生物多様性の世界は食物連鎖と言う名のピラミッド型として表現される。最下位にいる生きものはその直ぐ上の2番目の生きものの食べものになる。下位の命を得る事で、上位の命が存在する。そして次の3番目にいる生きものの食べものとして、命を提供する。これが繰り返されてピラミッドの世界を構成する。この生物多様性の世界の掟=食物連鎖とは違う外敵---例えばそれは災害であったり、また人による開発であったり---によって、ある1つの生命体が奪われてしまえば、他の生命体は当然危険にさらされる。

人はこのピラミッドの世界のどこにいるのかと言えば最上位。上位に人の命を餌にする生きものがいない、この世界を独り占めしているのが人という生きもの。太古の昔から人は生物多様性が作り出して来た恵み=生態系サービスをすべて受けることでその命を維持してきた。しかしこの生物多様性の世界=生態系が崩れた時、当然人の命にも危険が迫ってくることは明らかだ。

最上位にいるがために、人はこの世界に対し傲慢に振る舞ってきた。何をやっても構わいはしない。かくてあらゆる人の行為は生物多様性の世界を壊すことになる。その行為が回りまわって自分の命の危機をもたらすことに気づかないまま人は生物多様性の世界へ土足で入り込む。

メガソーラーは森林伐採をしたり、土地の形状を変更したりして設置されることが大半だが、この行為は明らかにピラミッド型への挑戦。この行為が廻り廻って、いつの日にか人の命を危機にさらしてしまうことに気がつけば、この生物多様性の世界に対する付き合い方を再考できるはずである。

市政がよもや人の、なかんずく市民の命をないがしろにしているとは思わないが、「景観計画変更」の文面の中で「出来るだけ---」「配慮する---」などと言っている現状では心もとない。

2 金儲けの手伝いをしない姿勢=市政

市内に乱立するソーラーパネルはFIT制度に負うところが多い。20年間売電価格が維持されると言うこの制度は金儲けを企てる人達=資本が跋扈するのを許してしまっている。「再生可能エネルギーの普及」という美名の下に行われているメガソーラー発電の本質は実は金儲けに過ぎない事が乱立するメガソーラーを通して見えてくる。

規制の緩い地域に狙いを定めてパネルを設置しようとするのは資本にとっては当然の論理。北杜市がそのターゲットに成り果て、パネルが乱立しているのは規制が緩い、否、規制が無いからに他ならない。

金儲けをしようとする特定の資本のために行政があるわけではない事は言うまでもないが、乱立するメガソーラーを認めている=放ったらかしにしているのは結果として、市政に対する誤解を生んでしまう。

この誤解を解く途は厳しい規制を実施する事によってしかない。

《二つの視点から考える抜本的対策》

1 「景観計画変更案」の文面中の「建築物へ設置するものを除く」ではなく、逆にソーラーパネルの設置は既存の工作物(住宅、工場など)の屋根の上に限定し、それ以外は一切認めないとする。

2 上記の規制は既に設置されたソーラーパネルにも適用し、原状復帰を義務付ける。

さらに付け加えれば

「できるだけ」「配慮する」などと言うどうとでも解釈できる言葉は使わない。



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2015年9月12日、中部横断自動車道沿線住民の会の「環境アセス」勉強会で「生物多様性」について、改めて学び直した。講師は伏見勝さん。伏見さんは日本自然保護協会の自然観察指導員。山梨県庁の農政部職員でもある。

「生物多様性とはただ様々な生きものがいるということではない。その生物たちがお互いにつながって存在しているという意味だ。命と命がつながっているということ。生物という以上、人も当然その生物多様性を構成している一つの生きもの。 この生物多様性という世界ではあらゆる生物はひと繋がりの一体のものとして成り立っている。だからこの世界ではある生命体の種が壊滅すれば、他の生命体の存在の危機に直結している。それが生物多様性と言う世界」

伏見さんは明解に解いた。つまりはこれは言い換えれば自然の事だ。自然=生物多様性。
この生物多様性の世界は食物連鎖と言うピラミッド型として表現されている。最下位にいる生きものはその直ぐ上の2番目の生きものの食べものになる。下位の命を得る事で、上位の命が存在する。そして次の3番目にいる生きものの食べものとして、命を提供する。これが繰り返されてピラミッドの世界を構成する。この生物多様性の世界の掟=食物連鎖とは違う外敵---例えばそれは地震や津波、火山の噴火などの自然現象であったり、また人による開発であったり---によって、ある1つの命が奪われてしまえば、他の命は当然危険にさらされる。

人はこのピラミッドの世界のどこにいるのか。人という生きものの上位には生きものがいないから、人は最上位。つまり人は生物多様性が作り出して来たあらゆる恵み(=生態系サービス)をすべて受けることで、しかも無償で入手する事でその命を維持している。しかしこの生物多様性の世界=生態系が崩れた時、当然人の命にも危険が迫ってくることになる。

上位に人の命を餌にする生きものがいない、敵がいない、つまりこの世界を最後に牛耳っているのは人だから、この世界に対し傲慢になる。何をやっても構いわしない。ここから自然を征服しようとか、技術を駆使すれば何でも可能だという発想が生まれてくる。
かくてあらゆる人の行為は生物多様性を壊すことに繋がっていく。その行為が回りまわって自らの命の危機をもたらしてしまうという事に気付かないまま、あるいは意識的に忘れて、人は生物多様性の世界へ土足で入り込む。

例えば原発---

福島原発での原発爆発=原発震災はもちろんの事、通常運転中でも原発は海水温め装置と言われるくらい、タービンを回す蒸気を冷却する必要があるが、そのために海水が利用される。熱交換されて温かくなった海水が海に戻され、周辺の海水温を温める訳だが---1秒間に70トンの海水を7~10度C上昇させるエネルギーとして、それも放射性物質を伴って----当然、そこの海の生態系は影響を受ける。魚や藻、貝などの命はどうなっていくのか。
また現在、海や地下へ垂れ流し続けている福島原発の汚染水は生態系にどう作用しているのか。
見えない事をいい事に、因果関係を証明できない事を免罪符にして、原発の稼働を続けて行く。
これは人間による生態系=生物多様性の世界への「犯罪」である。全生物に対する明らかな敵対行為。しかもそうであるだけではなく、その結果は巡り廻って、実は人の命を奪う事に繋がっているという自殺行為でもある。


生物多様性の世界を物差しにすれば、あらゆる人の行為は「犯罪」と言えてしまう。辺野古の新基地建設しかり、リニア、乱立するメガソーラーパネル、そしてなによりも中部横断自動車道の延伸工事等、公共工事と言われるものはすべてこの世界への破壊行為だ。もちろん公共工事だけではなく、私達の日々の生活も小さいながらも生態系を壊している。

では人はこの世界とどう付き合えばよいのだろうか。どう振る舞えばよいのだろうか。
人が生きて行くのに欠かせない、空気や水をどこから得ているのかと言えば、言うまでもなくこの生物多様性の世界=自然界=生態系から。もちろんすべての生物がこの恩恵を対価を支払わずに得ている---出発点はここにある。まさに生かされているという事。

〈この項続く〉
僕の暮らすこの界隈でも、この3月11日に反原発のパレード、昔風に言えばデモがあった。主催したのは「4月3日の広場」。このパレードの後、映画「日本と原発」の上映会があった。この映画は福島原発告訴団の弁護団代表の河合弘之さんが監督したもの。

この「日本と原発」の中で一番僕に届いた言葉、それは浪江町の町長、馬場 有さんの言葉------

「悔しい」

浪江町は今も放射線量が高く町の多くの地域が帰還困難地域。おそらく今後避難の解除がされるとはとても思われない。現在、役場は二本松市に避難している。

ここに住んでいた人たちの声を町長は涙を堪え、自身の思いも込めて「悔しい」と言ったのだった。悲しいでもなく、辛いでもなく、一言「悔しい」と言ったのである。

原発震災によって、放射線に被爆し、将来に亘って健康不安にさいなまれ続ける人たち。

長年住み慣れた家を故郷を着の身着のまま追われた多くの人たち。

職を失い、新たな収入を得る道を今もって見つけることが出来ない、多くの人たち。

津波によって命を失った家族への思いを抱き続けながらも、何とか前を向いて、健気に生活して行く人たち。

近くの知人や友人たちとも引き裂かれ、どこに行ってしまったのか、その消息すら今もわからないままの人たち。

些細なことから、将来の事まで、ちよっとした事をきっかけに諍いが始まり、家族関係が壊れ、バラバラに暮らすしかなくなってしまった多くの家族。

あちこちの避難所を転々としながら、やっとたどり着いた仮設住宅。衝立で仕切られただけの体育館などの避難所に比べれば、隣家の音がまるまる聞こえてしまうとしても、プライバシーは少しは保てるから、いくらかは気を休めることができると、自分に言い聞かせる人たち。

もともと仮設住宅は設計上、2年間と言う耐用年数しかない上、施行のいい加減さから、床が傾いたり、建て付けが悪いので、隙間風が通り抜けたりする。そのうえ、耐用年数を過ぎた仮設住宅は時に雨漏りが始まる。その場かぎりの正に仮設としか言いようがない所でも、雨風が凌げれば良しとして、そこに留まって暮らさざるを得ない多くの人たち。

厳しいとしか言いようがない避難生活の中で、持病を悪化させ、亡くなってしまった人や誰にも気づかれずに亡くなった人たち。

将来を見つめることができずに、自死する道しか残されていないと思い詰めてしまった人たち。

あろうことか、まだ被災者ずらしているのか、たっぷり保障金をもらったんだろう、と言う影の声が被災者をさらに追い詰める。

自らその道を選んだわけではない。もとより好き好んで選んだわけではない。すべては原発震災がもたらし、強いられてしまった結果なのだ。

にも関わらず、東電や政府は今もって自らの責任を誰1人としてとろうとはしない。すべてを津波のせいにして。それどころか、各地の原発の再稼働を画策し、あまつさえ海外への原発の売り込みを官民あげて企てる。

浪江町の馬場町長は2014年1月25日の青森の講演で、「私どもの基本的人権は全て失われている」として、その悔しい思いを語っている。憲法の条文をあげ「私たちは幸福を追求してはいけないのですか」「私たちは最低限の生活をする権利を持ってはいけないのですか」と。

浪江町は東電福島原発のある町----1~4号機がある大熊町と5~6号機がある双葉町----に隣接していながら、原発立地の直接的な自治体ではなかったから、東電や政府からの事故連絡はまったくなく、頼りにしたのは役場にかろうじて残っていたテレビのみ。つけっ放しにしたテレビの報道によって原発の爆発を知り、緊急の行政無線で当初は10キロ、次は20キロと、町民に避難を呼びかけ----町民は何も持てず、着の身着のまま、ひたすら遠くを目指して、逃げて行く。

「悔しい」

この一言に込められた思いを理解するのはそう容易い事ではない。原発震災を被った人にしか、理解できないことなのかもしれない。「そう簡単に理解されてたまるか、お前らに解るはずはない」----想像するに難しくはない。
それでも彼ら被災者の気持ちとの距離を縮め事が出来るとすれは、僕らにただ一つ残されているのは想像力をおいて他にない。あるいは今度は自らが原発被災者になることによってなのだろうか。

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4月3日の広場のHPは以下を参照。
http://space43.blog.fc2.com/

2015年3月11日のパレードは以下参照。
https://www.youtube.com/watch?v=Ldd5oDwwXW8&feature=youtu.be

福島原発告訴団のHPは以下を参照。
http://kokuso-fukusimagenpatu.blogspot.jp/

映画「日本と原発」の公式HPは以下を参照。
http://www.nihontogenpatsu.com/team

浪江町の町長の青森講演は以下を参照。
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/122495

# by kyureki | 2015-03-15 23:39 | 反原発


蓼科山から八ヶ岳、南アルプスを見る
2015年 賀状 その2 原発は核兵器だ_d0229170_23293452.jpg
      戦争はいつ始まるの? 

      日本を攻撃し、勝利する方法は57基ある原発狙え

      ばそれで良い。全て海沿いにあるので、こんなに容

      易いアプローチは無い。その上、空からの攻撃に対

      しては全くの無防備。日本を壊滅に陥れることが

      100%可能だ。ただし約束して欲しい事がある。

      攻撃する前にまたとないチャンスを与えてくれた原

      子力発電所へ謝意を伝える事。

      さあ、用意は整った。いざ!


      原発とは自国民に向けられた核兵器---これ程鋭く

      原発の本質を突いている言葉を知らない。

       

      フクシマ511


# by kyureki | 2015-01-06 23:47 | 核兵器

2015年賀状 その1 


2015年賀状 その1 老人力讃歌_d0229170_22521226.jpg
          元旦、雪の中、御神楽が舞う。近所の船形神社へ初詣

       頂上に辿り着けずに気が付けば下り坂。証明書

       も見ずに高齢者割引券を渡され、免許証更新に

       出掛ければ認知症検査。無違反なのに更新期間

       は3年だと。ときめく心がやたらと早いと思っ

       たら、これが動悸の始まり。何やかやでここま

       で生きてきて齢、何年か。年末目指して何とか

       行ってみるとするか。---ある方の賀状から無断

       1部拝借引用


       フクシマ511