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「再稼働を容認できない技術的根拠」小倉志郎講演会を聞いて   

「再稼働を容認できない技術的根拠」---20141026日 小倉志郎講演会を聞いて         

その公演は尺八のひと吹きからはじまった。最近、習い始めたというが、その音色は小倉さんの話しっぷりも含めて会場の空気を和ませるには十分だった。実際、尺八はそう簡単に音を出せるものでもないから、かなりの練習の結果の賜物に違いない。芸事は人前で演じることで上手くなって行くと言われる。

続いて紙芝居が始まった。

本人自作の内部被曝をテーマにした12枚もの。「ちいさなせかいのおはなし」

小倉さんは3.111週間前、千葉県の母親たちの読み聞かせサークルで初上演。この紙芝居を作った経緯について自身の本、『元原発技術者が伝えたいほんとうの怖さ』(彩流社 2014年刊1700円)の中で、2010年末に文科省が出した各教育委員会宛ての通達を知って、急遽作ったものだという。それは「翌年4月から原発がクリーンで安全であること、エネルギー資源の少ない日本では必要という事を教えるように」と言う内容だった。その後これを持ってあちこちで上演しているとのこと。

この紙芝居は内部被曝がDNAに致命的損傷をもたらす、と言う内容。低線量でも脅威なのは外部被曝よりも何より内部被曝。その危険を知ったのは東芝を定年退職して、7年後の2009年に読んだ2冊の本だったという。それまでの自分が、放射能の人間への影響についていかに無知であったかを思い知らされたと。

この2冊の本---

GouldGoldman著「死に至る虚構---国家による低線量放射線の隠蔽」肥田舜太郎他訳

2 Boardman著「放射線の衝撃---低線量放射線の人間への影響」肥田訳

(いずれもPKO法「雑則」を広める会刊行)

さて小倉さんは芸事用の衣装を着替えて、講演を始めた。

まず「再稼働賛成の人と反対の人」にそれぞれ挙手を求めた。僕の視界には2人の賛成の手が見えた。この後、両者の激しい意見のぶつかり合いがあるのかと思わせたが---展開は違った。

「反対の方、明確な理由がありますか、その根拠は?」と、小倉さんは問いかける。

ゼロベクレルが最良であることは当然ながら誰しもが認める。問題は低線量被爆。それも内部被爆。ある値以上は影響があり、ある値以下は問題はないという言説。果たしてそうなのか。その数値に科学的、技術的根拠を求めはじめるとその数値に惑わされる。専門家の言う事や科学者の言う事、有識者と言われる人達を安易に、その肩書きで信じることになる。それらは「確率論的安全解析」や「リスク評価」(前掲書参照)と言った視点で考えられているに過ぎず、生身の人間のことは置き去りにされている。

科学主義や技術主義から脱却して、それよりも自分の尺度=感覚で判断したい。嫌なものは嫌、命を危険にさらすのはご免だ、で構わないではないか。数値はあくまでも参考データに過ぎず、そのデータを判断するのは個々人の感覚であるべきだ、とする。被曝線量は低ければ大丈夫なのか、と言う問題提起。

小倉さんは原子力市民委員会が出した『原発ゼロ社会への道』の第4章の執筆者の一人。この第4章のタイトル、今回の講演と同じものだが、「原発再稼働を容認できない技術的根拠」について、実は納得していないと言われる。小倉さんの話は確かに技術的根拠をもとめるのは間違いだ、と言う事なのだから当然と言えば当然だ。

質疑応答で出た、冷却水ボンプ自体に問題ありとか、パイプの継手に欠陥があるとかというのは技術的根拠にはなり得ない。それらは交換すれば解決できる事柄であって、原発に固有の問題ではない。

それでも僕が思う再稼働を容認出来ない技術的根拠とは以下の二つのこと。

①通常運転時においても、

原発は大気中と海とに低線量の放射性物質を出している、否出さないと運転出来ないと言う構造を持った技術である事。

②なかんずく非常時においては、

3.11を振り返るまでもなく、あらゆる技術同様、原発は自然の力を乗り越えることができない技術である事。

大気中や海中に放出された、たとえそれが低線量であったとしても、それら放射線が今後、将来に向かってどういう影響を生物や人、地球にもたらすのか。科学によって、その影響を解明できたり、防備出来たりと考えるのは自然の力をコントロール出来ると考える人達の身勝手な、傲慢な振る舞い。科学の発達や進歩に託す愚、科学主義を捨てない限り、その危険を察知する人としての能力、本能的感覚は失われると。

科学主義や専門家主義、そしてもろもろの数値に頼る数値主義、そしてそれらの数値を安全だと担保する法規主義とオサラバした先に原発ゼロ社会が見えてくるのではないか---僕は思った。

原発施設内の放射線管理区域から外へ出る時には、頭からつま先まで着ているもの、履いているものなど全てを取り替えると言う厳格な措置がなされている(それらは洗濯されて、それこそ低線量と言われているが、その洗濯排水は実は海に放出されている)。

今、福島県を始め、茨城県や千葉県などにも、この管理区域に指定しなければいけないところが数多くある。にもかかわらず、出入りは自由。もちろん衣服は取り替えないし、車も乗り換えない、新幹線も乗り換えはしない---という事は日本中に汚染が拡大している、という事。

小倉さんは日本という国の全滅の日がやがてやって来るのではと警告する。全滅とは「生物としての自然の営みが不可能になる」こと。タイタニック号を例にして、およそ後24年で日本は全滅するのではないかと警告する(前掲書参照)。

小倉さんは大学卒業以来、2002年に定年退職するまで一貫して、東芝の原発技術者として幾つかの原発現場で働いてきた。中でも福島原発は1 号機から6号機まで、4号機を除いて、炉心冷却系の電動機駆動ポンプのエンジニアリングを全て担当。その福1の冷却系装置の電源喪失による原発震災を知った時の衝撃と驚愕は如何許りであったか察するに余りある。

懇親会

1730分から、小倉さんを囲む懇親会が近くで持たれた。僕がどうしても聞きたかったことは東芝での事。

原発部門は花形だった。何故なら、確実に売り上げが読める。他の商品は売りに出して始めて売り上げ額が出てくる。それらに比べて原発は受注だ。5年先まで数値が読めた。

東芝における総売上に占める原発部門のその比率は知らない。

原発部門は技術系のみ約1000人、他に事務系も。東芝全体の社員数は約36000

紙芝居はペンネームだが、今回出版した本は実名。当初は東芝からの嫌がらせを予測した。また、本を出す時にも逡巡したが、意を決めた。現在のところ、古巣からのリアクションはない。

またこの懇親会で小倉さんの放射線管理手帳を見せてもらった。かなりの数の印が押されていた。東芝の肩を持つ訳ではないがと前置きして(東芝を良く語る時、この前置きをどうしても必要とするのは仕方がないのだろう)勤めていた当時、東芝では放射線被爆について厳格な管理がなされていて、自分の総被曝線量はかなり低いという。

前掲書によれば、原発内の管理区域に入るにはまずそこの線量を計測する必要がある。その作業をする放射線管理員は真っ先にその危険が予想される現場に入って計測する。このデータがあって始めて点検工事の必要作業員数や必要日数が決められていく。

誰か一人でも1日に100Rem(現在の1mSv相当)を超えると労基署に始末書を書かされるということから管理員は誰一人として限度を超えないように被曝線量を社員、下請けを問わず、平等に計画して管理していた。その結果、小倉さんは今も健康に暮らせている、彼らに感謝しすぎる事はないのだと。

そして小倉さんの本『元原発技術者が伝えたいほんとうの怖さ』にサインをしてもらった。

「信自他真心 日々不忘」

とあった。そして小倉さんはバックから小さな本を取りだした。そこには童話屋の「日本国憲法」があった。「日々不忘」が大事なんですと。

小倉さんには山田太郎というペンネームで書いた「原発を並べて自衛戦争はできない---原発と憲法」という論考(2007年ミニコミ誌「リプレザーブ」寄稿 前掲書併載)がある事を付けくわえておく。

-----以下、参考までに東芝のhpから「会社概要」(2014-03-31時点でのデータ)を引用-----

創業
    1875(明治8)7
資本金
    4,399億円
年間売上高
連結 65,025億円
        単独 32,945億円
資産総額
連結 62,416億円
        単独 4643億円
従業員数
連結 200,260
        単独 35,943
発行済株式総数
423,760万株
株主数
    436,540

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by kyureki | 2014-11-21 17:57 | 反原発