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生物多様性と言う言葉を聞いてから久しい


2015年9月12日、中部横断自動車道沿線住民の会の「環境アセス」勉強会で「生物多様性」について、改めて学び直した。講師は伏見勝さん。伏見さんは日本自然保護協会の自然観察指導員。山梨県庁の農政部職員でもある。

「生物多様性とはただ様々な生きものがいるということではない。その生物たちがお互いにつながって存在しているという意味だ。命と命がつながっているということ。生物という以上、人も当然その生物多様性を構成している一つの生きもの。 この生物多様性という世界ではあらゆる生物はひと繋がりの一体のものとして成り立っている。だからこの世界ではある生命体の種が壊滅すれば、他の生命体の存在の危機に直結している。それが生物多様性と言う世界」

伏見さんは明解に解いた。つまりはこれは言い換えれば自然の事だ。自然=生物多様性。
この生物多様性の世界は食物連鎖と言うピラミッド型として表現されている。最下位にいる生きものはその直ぐ上の2番目の生きものの食べものになる。下位の命を得る事で、上位の命が存在する。そして次の3番目にいる生きものの食べものとして、命を提供する。これが繰り返されてピラミッドの世界を構成する。この生物多様性の世界の掟=食物連鎖とは違う外敵---例えばそれは地震や津波、火山の噴火などの自然現象であったり、また人による開発であったり---によって、ある1つの命が奪われてしまえば、他の命は当然危険にさらされる。

人はこのピラミッドの世界のどこにいるのか。人という生きものの上位には生きものがいないから、人は最上位。つまり人は生物多様性が作り出して来たあらゆる恵み(=生態系サービス)をすべて受けることで、しかも無償で入手する事でその命を維持している。しかしこの生物多様性の世界=生態系が崩れた時、当然人の命にも危険が迫ってくることになる。

上位に人の命を餌にする生きものがいない、敵がいない、つまりこの世界を最後に牛耳っているのは人だから、この世界に対し傲慢になる。何をやっても構いわしない。ここから自然を征服しようとか、技術を駆使すれば何でも可能だという発想が生まれてくる。
かくてあらゆる人の行為は生物多様性を壊すことに繋がっていく。その行為が回りまわって自らの命の危機をもたらしてしまうという事に気付かないまま、あるいは意識的に忘れて、人は生物多様性の世界へ土足で入り込む。

例えば原発---

福島原発での原発爆発=原発震災はもちろんの事、通常運転中でも原発は海水温め装置と言われるくらい、タービンを回す蒸気を冷却する必要があるが、そのために海水が利用される。熱交換されて温かくなった海水が海に戻され、周辺の海水温を温める訳だが---1秒間に70トンの海水を7~10度C上昇させるエネルギーとして、それも放射性物質を伴って----当然、そこの海の生態系は影響を受ける。魚や藻、貝などの命はどうなっていくのか。
また現在、海や地下へ垂れ流し続けている福島原発の汚染水は生態系にどう作用しているのか。
見えない事をいい事に、因果関係を証明できない事を免罪符にして、原発の稼働を続けて行く。
これは人間による生態系=生物多様性の世界への「犯罪」である。全生物に対する明らかな敵対行為。しかもそうであるだけではなく、その結果は巡り廻って、実は人の命を奪う事に繋がっているという自殺行為でもある。


生物多様性の世界を物差しにすれば、あらゆる人の行為は「犯罪」と言えてしまう。辺野古の新基地建設しかり、リニア、乱立するメガソーラーパネル、そしてなによりも中部横断自動車道の延伸工事等、公共工事と言われるものはすべてこの世界への破壊行為だ。もちろん公共工事だけではなく、私達の日々の生活も小さいながらも生態系を壊している。

では人はこの世界とどう付き合えばよいのだろうか。どう振る舞えばよいのだろうか。
人が生きて行くのに欠かせない、空気や水をどこから得ているのかと言えば、言うまでもなくこの生物多様性の世界=自然界=生態系から。もちろんすべての生物がこの恩恵を対価を支払わずに得ている---出発点はここにある。まさに生かされているという事。

〈この項続く〉